2008/11/19
貧富之差是人禍的
這本是談到在美國社會中所存在的問題,
作者是被稱為將來的諾貝爾經濟獎的獲獎人。
作者主張貧富之差是政治惹的禍。什麼意思呢?
例如,富裕的人能將政治獻金獻給政黨或政治人物,但貧窮的人不能,
在這樣的情況下,一般的政黨或政治人物容易採用對富裕的人有利的制度,
例如稅率優惠等。結果,富裕的人能受益,但貧窮的人卻不能,導致貧富的嚴重區隔。
回頭來看,雖然美日之間的情形有所不同,
但在這幾年,日本政府也鬆綁了許多舊制度,
結果,日本國內也出現嚴重的貧富之差,而且其差距也越來越大,
即富裕的人越富裕,貧窮的人越貧窮。
看完後,突然開始擔心日本的未來,
希望政黨或政治人物考慮市井的實際生活,而不要只看紙鈔。
2008/11/11
寫作文
這本是我曾經看過的關於如何寫作文的書籍中,最容易了解的一本書。
如果對日文的寫作感興趣,不妨讀一讀這本書。
以下是我特別有印象的部分:
一、
“在遇到很難寫出的題目時,在題目的前面追加一句“對我來說”,這樣就能較容易地寫出作文。”
例如,遇到“二十世紀”這樣的題目,在開始寫作文以前,追加一句“對我來說”,也就是說,將題目改為“對我來說的二十世紀”。這樣的話,與單純的“二十世紀”的題目相比,更容易寫出作文來。
二、
若要寫作文,應該寫“想給別人聽的故事”或完全相反的“太丟臉而不想給別人聽的故事”,這樣才能夠吸引到讀者。
三、
從想要寫的內容中取捨不必要寫的、與作文的骨幹無關的內容。
在寫作文時、往往會將許多內容加進去文章裡,但這樣反而讓讀者無法了解你真正想要傳達的內容。因此,必須要放棄你想要寫但不重要的內容。
如果對日文的寫作感興趣,不妨讀一讀這本書。
以下是我特別有印象的部分:
一、
“在遇到很難寫出的題目時,在題目的前面追加一句“對我來說”,這樣就能較容易地寫出作文。”
例如,遇到“二十世紀”這樣的題目,在開始寫作文以前,追加一句“對我來說”,也就是說,將題目改為“對我來說的二十世紀”。這樣的話,與單純的“二十世紀”的題目相比,更容易寫出作文來。
二、
若要寫作文,應該寫“想給別人聽的故事”或完全相反的“太丟臉而不想給別人聽的故事”,這樣才能夠吸引到讀者。
三、
從想要寫的內容中取捨不必要寫的、與作文的骨幹無關的內容。
在寫作文時、往往會將許多內容加進去文章裡,但這樣反而讓讀者無法了解你真正想要傳達的內容。因此,必須要放棄你想要寫但不重要的內容。
2008/11/05
2008/10/28
FP是什么?(FP是什麼?)
所谓FP(financial planner;理财规划师)是指一位专家,搜集对于客户的所有资料(例如,收入、资产和负债等),倾听客户的要求、希望或目标,分析现状,并且为了达成 客户的生涯规划的目标,基于该分析,有时与律师或会计师等专家联系,提供存款计划、保险和投资对策、税金对策等整体性的资产计划,帮助客户达成目标。
2008/07/18
一挙一動
発音: yi ju yi dong
解釈:
人の行為や動作
(蛇足)
先日、我が子が“初”寝返りをうちました。
いつかいつかと楽しみにしていたんですが、残念ながら仕事中だったため、その瞬間は見られませんでした。
最近、わが子も動きが活発になってきて、
“一挙一動”から、目が離せなくなり、大変さも増してきた気がします。
そのうち、ハイハイを始めたり、歩き始めるともっと大変になるんでしょうね。
(いったいいつになったら楽になるんでしょう?)
まあ、日々成長する姿を見せてくれて、楽しませてもらっているんで、良しとしましょう。
最近、そんなわが子を見ていると、ふと「自分にもこんな時代がほんまにあったんやろか」と不思議に思うことがあります。
当たり前と言えば当たり前なんですが、記憶にも残ってないし、
自分が何もできない赤ちゃんだったことが想像できなくて。
「いっぱい迷惑かけてきたんやろなぁ」と思うと、気恥ずかしくもあり、
親への感謝が深まる思いです。
☆謝謝! 明天見!☆
■翻訳をご希望の方はコメント欄でお知らせください。無料で翻訳いたします。ただし、内容によってはお断りする場合もございます。また、個人的な趣味で行っていますので、スピードや品質でご希望に添えない場合もございます。予めご了承ください。なお、翻訳文に関しましては、学習参考用として当ブログに公開いたします。
解釈:
人の行為や動作
(蛇足)
先日、我が子が“初”寝返りをうちました。
いつかいつかと楽しみにしていたんですが、残念ながら仕事中だったため、その瞬間は見られませんでした。
最近、わが子も動きが活発になってきて、
“一挙一動”から、目が離せなくなり、大変さも増してきた気がします。
そのうち、ハイハイを始めたり、歩き始めるともっと大変になるんでしょうね。
(いったいいつになったら楽になるんでしょう?)
まあ、日々成長する姿を見せてくれて、楽しませてもらっているんで、良しとしましょう。
最近、そんなわが子を見ていると、ふと「自分にもこんな時代がほんまにあったんやろか」と不思議に思うことがあります。
当たり前と言えば当たり前なんですが、記憶にも残ってないし、
自分が何もできない赤ちゃんだったことが想像できなくて。
「いっぱい迷惑かけてきたんやろなぁ」と思うと、気恥ずかしくもあり、
親への感謝が深まる思いです。
☆謝謝! 明天見!☆
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